古河ひろみさんは、人々が避難していた時も営業していたコンビニに毎日勤務し、都路町住人の帰還時はコンビニの立ち上げのキーパーソンとなり、その後も必要な品々を揃え、人々の生活を支えています。
田村市都路町に住んでいた古河さんは、震災時、当時勤めていた常葉町のコンビニ店の寮に避難しました(県外避難はしなかった)。物流が途絶え、店内の商品がほとんど底をついていましたが、震災の復旧のために行き来する人々の休憩の場になればと、古河さんが勤めていたコンビニのオーナーは、ほとんどの店が閉店している中でも店を開け続けました。古河さんも、休まず、そのコンビニで働き続けました。幼子2人を抱えて、避難先での勤務。人々が非常の中で少しでも便よく過ごせるようにと考えていたそうです。
2015年2月、田村市都路町帰還に伴い、コンビニエンスストアを新規開店することになると、当時30歳になったばかりの古河さんの肩には町民の期待がかかっていました。立ち上げの一切合切を受け持ちました。避難解除がされたばかりの都路町に、求人応募者は一向に来ません。従業員12名を自ら探し出して採用し、無事オープンすることができました。24時間営業も大きな壁でした。当時も今も男性従業員は一人だけです。
当時町には除染作業で男性労働者が多く行き来していましたが、一番近い警備会社の支店は福島市と遠く、担当警備会社はしばらくの間駐車場の車の中で夜を過ごしながら見守りをしていたそうです。現在は従業員6名で24時間365日の営業をしていますが、時間的にかなりきついようです。古河さんの子供たちは今では高校生になり、船引駅から鉄道で通学しています。船引駅までの送り迎えはかなり負担になっており、「子供たちが安全に自分たちで通学できる交通機関があればどんなに助かるか・・・」と古河さん。
さらに「原発事故は忘れてはならないもの。早期の解決を心から願っている。しかし、なんでも原発のせいにするのはよくない。一人ひとりがよりよい将来のために志をもって、それに向かって努力しない限り、本当の復興は来ないと思う」と想いを語る古河さんは、24時間365日営業のコンビニを毎日地道に運営しています。