▼津島~相馬市 通勤の日々の暮らし
双葉郡浪江町津島地区は東日本震災・東京電力第一原子力発電所事故の影響を受け、全地域が帰還困難区域に指定されていた。2023年3月末に一部避難指示が解除され、浪江町津島支所が再開し、津島住宅団地10戸が建設された。津島出身の国分晶子さんは、2010年に津島を離れていたが、2024年4月に住民として津島に戻り、介護の仕事で相馬市へ通う生活を送っています。
▼3・11・・それから
津島で結婚し、スーパーなどを営んでいた国分さん。2010年に娘が住む仙台市に移り、女子大寮住み込みで働いていた時に震災にあいました。津島に住む両親の転居を済ませたあと、神奈川の大学に通うもう一人の娘が体調を崩したのを機に、傍に居ようと戸塚に転居、2011年10月から母と娘2人との3人の暮らしが始まりました。栄養士としての資格を活かし、神奈川県内の社会福祉協議会に所属し、ホームヘルパーとして新たな生活をスタートさせました。
▼縁が繋がって
神奈川県でホームヘルパーとして働いた4年。縁が繋がり東京都内の企業女子寮食堂を経て、三宅島の介護施設で5年を過ごしました。津島への墓参りツアーに参加したのを機に、三宅島に一区切りをつけることを決意します。福島県内に移住先を探すと、相馬市の介護の仕事と空き家の紹介を受け、2022年3月から相馬市での生活が始まりました。
▼津島に戻る決意
相馬市での生活が落ち着く中で、津島団地への入居案内を受けた国分さん。息子たちが浪江町にいたこと、実家の解体など行き来する機会が増えたことで津島に戻る決意をします。2023年4月転居し住所を浪江町津島に移しました。
▼これから
津島で生活できる地域はまだごく一部。日々除染・解体・復旧の工事が続いています。「まだ暮らす人は少ないけど、私が在宅時は誰でも声を掛けられるようにしているの。いろんな人が声を掛けてくれるよ」と国分さんは明るい。津島に人が来て賑わいが戻ればいいなと、花壇や休耕地に花を植える国分さんです。
(2024年10月5日取材S)
写真トップ:自宅で明るく迎えてくれる国分晶子さん。「お店も無いし、飲食店も無い。だから誰でも寄れるところにしているの」と。
写真2:通行する人の癒しにと、国道114号線沿い、津島支所前の農地を借り、コスモスを植えた。鑑賞用かぼちゃも栽培し、今年は大きな実が収穫できた。10月13日の「つしま肉まつり」開催時に展示し、楽しんでいただいた。
写真3:津島住宅団地は、現在10戸。現在は10世帯が生活し、子育て家族も2組移住し生活している。